6/29 『花の都の大罪人』について 

2014年10月に完結し、2016年12月に同人誌化しました中編『花の都《フルーレリア》の大罪人』ですが、これまでこの物語についてあまり詳しくお話したことがなかった気がしたので、冊子版のギミック含め、この記事であれこれお話してみようと思います。




まず、フルーレリアというお話そのものについて。内容については言うまでもないと思いますので省略しますが、フルーレリアは、他の作品に比べると、最初に決めたフォーマットを徹底したお話だったりします。地の文の間に一人称文を挟むときは段落頭に「――」をつけることや、特定の副詞等をかならずひらがなにすることなどでしょうか。
加えて、本作は比較的戦闘シーンの多いお話でもありました。フルーレリアを書くに当たっての目標が、「魔法が出てこない、戦闘シーンの多いお話を書く」でしたので、それについては成功と言えそうです。お話自体が短かったのは、その長さで十分収まりきると判断したからでもありますし、これ以上引き伸ばしたら二人のうちどちらかがけがで死んでしまうかもしれないと思ったからでもありました。妖精女王の水鏡にたどり着いたときの二人は、それほどひどい状態だったんです。


フルーレリア冊子版は、文庫本サイズ、カバー・帯付き、本文二段組、108Pという仕様でした。文庫本サイズの小説本に憧れがありましたし、このサイズであれば一度作ったことがあったので、わかりやすくこのサイズを選んであります。ページ数もそれほど多くありませんので、持ち歩いて暇つぶしに読む、なんてこともしやすかったのではないでしょうか。
背表紙はむりに作らなくても良かったのですが、いつか新しく別のお話を製本した際、隣に並べて見栄えがいいようにと黒単色で制作しました。あとがきがカバー内に食い込んでいるのは、本文ページ数を抑え、同時に制作費用を抑えるためです。お手にとってくださった方はもうおわかりだと思いますが、カバーと表紙のイラストが差分になっておりますので、なんかこう、不穏なものを感じていただけたんじゃないかな。


別所でもすでにしゃべってしまったことなのですが、フルーレリア冊子版のおまけである「エイルの手紙」についても、ちょっと小ネタが仕込んでありましたのでご紹介したいと思います。

手紙本体を両面印刷にしたのは、黄ばみやシミといった紙の汚さを体感してほしかったからでした。紙がこれだけシミ付いて汚れていたり、折り目が雑だったりするのは、エイルの「抜けている」ところの表れです。本当は、字だってもっと手書きに近い(率直に言うと汚めの)フォントを選びたかったんですが、多くの日本語フリーフォントは文中のすべての文字には対応していない可能性があったので、大丈夫そうなフォントを選んだ結果、この形に落ち着きました。読みやすさで言うなら、こうして正解だった気もします。

文字が紺色なのは、エイルが使っているインク=向こうの世界での標準的なインク色が青~紺だからです。本文なら「……」と書くところを「・・・」としているのは実際にエイルならそう書く(実際は「...」に近いと思われます)からで、エイルがしゃべる口調に比べて文章が硬めなのは、エイル自身が話し言葉と書き言葉を多少区別して扱っているからだったりします。

もうひとつのおまけであるイラストカードは、WEBでは未公開のものです。これから公開する予定もありませんし、何よりエイルの手紙とセットでこそ意味がある仕様にしてあります。「手紙が確かに届いたこと」を、あのイラストから察していただければと思います。また、手紙の内容もWEBでの公開予定はありません。

ちなみに、エイルの手紙の封筒は、イラストカードに描かれている封筒とまったく同じものを使っています。「一番雰囲気が出る(気がする)」のと「汚れが目立ちにくい(私もエイルもずぼらなので梱包時に汚してしまう可能性がある)」という理由から、クラフト紙のものを選んだのはここだけの話。


そうそう、フルーレリアはあまりにもわかりやすいハッピーエンドだったのですが、違和感を覚えた読者さまもいらっしゃったと思うので、それについて少しお話したいと思います。

もともとのユニ・エイルの目的は、妖精女王の水鏡で「自分たちの罪を雪ぐ」ことであって、平和な異世界に飛ばされることではなかったわけです。彼ら自身が動いたからこそたどり着いた結末だと言っても、フルーレリアの終わり方って、彼ら自身が掴み取ったものというよりは「頑張っていい子にしていたらサンタさんが見ていてクリスマスにはプレゼントをくれる」とか、「魔法使いのおばあさんにドレスとかぼちゃの馬車とガラスの靴を与えられる」みたいな、そういうものなんですよね。

「情かもしれない。『大罪の器』だったこの身体を、疎んだのかもしれない。妖精女王の意図は理解できなかったが、温かく優しい新たな世界は、エイルが望んだものだった。」というところから、エイルの困惑が感じ取れます。ただ、「罪を雪ぐ」ことは大罪人として扱われる現状から抜け出せる唯一の手段(だとエイル本人は思っていた)だったので、結果よければまあよし、というところも大いにありました。どんな方法であれ、現状が変わればそれで良かったという感覚。

童話や昔話の多くには、自分たちを常に見ていて、罰したり恩恵を与えたりする何らかの「大きな力」の気配があります。登場人物たちの力が及ばないところを支配する何者か、それがこのお話における妖精女王です。彼らが大罪人というステータスを与えたのも、一方で彼らをそこから救い出したのも、この妖精女王でした。彼らは意外な形で自分たちの望む場所を手に入れましたが、それさえ彼ら自身の力ではないことを思うと、どこか腑に落ちないところがありますね。それがこのお話におけるハッピーエンドです。

ユニとエイルに私や読者の皆さまが声をかけるとすれば、「よくやった」というよりは、「これまでがんばった」だとか「よかったね」という言葉になるのではないかと思います。彼ら自身は自らの力では何も成し遂げられておらず、「努力は報われる」という教訓を体現するように、必死に戦って、大いなる何者かからの報いを授かったに過ぎないのですから。そういう意味で、このお話は「童話」と表現するのが最適だと私は思っていたりします。


※思い出したことがあれば、後々追記します。
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category: 小話/作品について

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