6/19 『星を待つひと』について 

本記事では、拙作『星を待つひと』を英訳してくださったLocksleyu様「日本とアメリカでは文化的に異なるところが少なからずあると思うのですが、『残夏』シリーズの中で特に日本的といいますか、文化的な違いを感じられた要素や考え方などはありましたか?」とお尋ねしたところ、『星を待つひと』に関するとても興味深いご回答がいただけましたので、そちらをご紹介しつつ、『星を待つひと』について少しお話しようと思います。


以下、水平線内は引用部になります。




1) 主人公が働きすぎて体調を壊してしまうところ。
僕は日本で働いたことがないので分かりませんが、日本人の友達などの話によりますと、日本では働きすぎというほどの残業、徹夜、過労死などが、社会問題と言えるほど、非常に多いらしいです。ちなみに個人的には、本職は週に40・50時間だけ働くようにしています。(60・70時間働くアメリカ人もいますが)


欧米の場合はわかりませんが、日本ではとにかくスピーディーに結果を出すことが求められることが多いように思います。そのため、叶えたい目標があったナオユキは、とにかく手早く・要領よくことを進めなくてはならず、短期に根を詰めすぎたことにより、彼自身の体力のなさが体に出てしまう結果になりました。日本の場合、不本意な過剰労働により体や心を壊す労働者が少なくありませんので、目標がある上で、自分の意志で働いていただけ、まだマシな方なのではないかと思うのですが……。


お話の中には書かれていませんが、ナオユキの職種は企画・営業系(文系大出身)だと思っています。定時が9:00~5:00、そこから残業をニ時間、自主残業として残業時間に換算されないサービス残業を数時間……というスケジュールを、少なくとも一ヶ月以上はしていたのではないかと……。こうして見ると、体力があっても体がもたなさそうなスケジュールです。


なお、今回のお話において、ナオユキが「目標をもって仕事に取り組んでいたのに、それを失った」ことは、ナオユキ自身の中にあった夢を受け入れるために用意された「心の隙間」であったりします。目標もなく働き(働かされ)、体を壊したという設定では、話の展開にそぐわなかったのですね。



2)イルカ狩り
最後の方にイルカ狩りの場面がでるのですが、以前から日本ではイルカ狩りをする村があるって新聞などで聞いていましたので、あまり驚きませんでしたが、アメリカではイルカってまるでペットみたいなイメージで、ペットを殺して食べるなんてぜったい無理だと思う人がほとんど、という気がします。
実は、『星を待つひと』をはじめて拝読した時、イルカ狩りのシーンまで読んだら、「やばい。。。これじゃ英訳書いたら文句言われそうだからやめとこうかな。。。」って思ってしまいました。しかし、最終的には「まあいいや」と諦めて、それでも訳してブログに載せました。文句ひとつも言われませんでしたが。
英訳については、なるべく原文の意味をそのまま英語にしたのですが、イルカの肉がお祭りに出るというところだけは少しカットさせていただきました。イルカ狩り自体は物語の大事な要素ですのでそのまま残しておきました。
ちなみに、生きて行くためならイルカでもどんな動物でも殺して食べるというのは、僕はごく自然だと思って、ぜんぜん構いません。


「イルカ狩り」……これ、実は私も非常に悩んだところでした。日本においても、うげっと思ってしまう方は少なくないんじゃないでしょうか。
国際的には捕鯨等も問題視されていますし、欧米ではそれがが標準的な感覚なんだと思います。イルカは見目もかわいらしいですし、高い知能を持っていることがわかっています。そんな動物を捕まえて殺すだけでなく、その肉を食べるなんて……。欧米の方からすれば、日本における「犬猫を食べるとかありえない」みたいな、そういう感覚なのかもしれません。日本では地域的に鯨肉を食用とする文化がまだ生きているので、ひとつの文化として許容する考え方をする方が多いのでしょう。

このようなご指摘をいただいておきながらこういうことを言うのはよくないかもしれませんが、イルカ肉、クセが強いらしいです。しかも、沖縄(※沖縄住です)でも食べられるとか……。身近にそういった文化が根づいていたことは知りませんでしたので、執筆後に知り、驚いた記憶があります。
一応、日本においてもイルカを狩るとか食べるとかいったことはスタンダードではなく、あくまで地域的な文化である、ということだけは申し上げておきたいと思います。


3)男同士の関係
実は、この点については自分がはじめて読んた時はぜんぜん気が付きませんでしたが、英訳を読んで下さった方から(英語で)「これってなんかBLっぽくない?」という感想を頂いて、よく考えてみたらまぁそういう風に捉えても可笑しくはないかという結論に至りました。 (BL=男性同性愛)
こういう要素は多分、アメリカにしても日本にしても以前よりも一般的に受け入れられるようになってきてるでしょうけど、少なくともアメリカでは多少きわどい(?)イメージはまだあるかと思います。そういう要素があるのを知ったら引く人もいれば、気になって読みたくなる人もいますので、一概には言えませんが。
これはあくまでも僕の個人的な意見ですが、やおいとか、アメリカより日本の方が、流行ってるような気もします。


こ、これは……!うーん、これ、なんとお答えしたらいいのやら……。そうかあ……やっぱりそう見えるかあ……。登場人物が男性二人のものを書くと、一度は言われるんですよねこれ……もう吹っ切れて自分でも言ってしまってたりしますが……。

えっと、男性が二人並んでいると、何の関係もなくてもカップリングに見えてしまうフィルターというものが世の中には存在しましてですね。今回のお話は心理描写が強めなのもありますし、二人の関係に運命的なものがあったこともあり、そういったフィルターを通して見れば「BLっぽい」という見え方になってしまうのでしょう。そういうことにしておきましょう……。


そういう見られ方が予想できたなら、なぜ片方を女性にしなかったのか、気になる方もいらっしゃると思うので、一応言及しておきますね。

ナオユキの方は、展開からして男性にせざるを得ませんでした。やや要領が悪く仕事一本なところもそうですし、正体の分からない何者かと裸の心で触れ合えるのは男性の方だろうという考えもありましたし、何より成人女性を夜の海に放り込みたくなかったんですね。そうじゃないだろう!という気持ちが自分の中にありました(笑) こういう点は、やはり書き手の好き好きなのかもしれませんが……。

また、ナナシが男性(オス?)になったのは、ナオユキの素の姿を出すためでした。二人の関わり方についてはともかく、相手が異性だったら、ナオユキの方もここまで自然に振る舞えなかったと思うんです。ナオユキが女性になっていたとしたら、ナナシも女性(メス?)に設定されていたかもしれませんね。ナナシに関しては、単純に、現代の砂浜に魔術師然とした男性がいる不思議な情景が書きたかったから、というのもあったのですが。


ちなみに私は、恋愛を描きたいのでない限り、基本的に登場人物は全員同性、それも男性に設定します。なぜなら女性には、女性にしかない独自要素が多すぎるためです。また、ファンタジー作品を書いているときは、「社会における女性の役割は、旅に出たり、剣を握って戦うことではないし、女性の造りはそれに適していない」という考え方を強く意識しているため、女性は冒険しないか、極度に振る舞いが男性に近い状態で登場することが多かったりします。

それは精神面も同じことで、少女はともかく(少女性ほど恐ろしくて手のつけられないものはないので、これはこれで扱いきれない)、物語における女性の心は「冒険しない」というか、現実主義であると私は考えています(あくまで個人的な考えです)。今回の主人公が男性であったのは、設定的に動かしやすかったからというのもあるのですが、「男性はいつまででも冒険できる、心に自由な郷がある」という考え方のためでもあるんです。


蛇足ですが、私には女性性を神聖視しているところがあるので、女性が女性として登場する場合はだいたい女神枠か母親枠です。少年性よりも自由で恐ろしい少女性×身体的・属性的な創造力という女性だけの独自要素を活かそうと思うと、神様になってしまうんですね……。



『星を待つひと』英訳版はこちら:『Final Days of Summer』(Locksleyu様)

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